四日市にある、ささがわ整体院・接骨院のスタッフをご紹介いたします。

四日市で骨盤矯正なら、ささがわ整体院・接骨院

0593231140 三重県四日市市西日野町4299
月~金 9:00~12:00 土 9:00~12:30/16:00~20:00
[休診日]午後土曜・日曜・祝日

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ささがわ接骨院 院長

加藤 秀治

(かとう ひではる)

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出身

三重県 四日市市

趣味

ゴルフ、釣り、燻製作り、スキー

血液型

A型

性格

真面目・誠実・完璧主義

資格

  • 柔道整復師(日本国家資格)
  • リミディアル、マッサージ師(オーストラリア国家資格)
  • 一般社団法人疲労回復協会 認定セラピスト
  • NCA認定 カイロプラクター
  • 一般社団法人BMK整体協会 認定セラピスト
  • 一般社団法人自律神経整体協会 認定セラピスト
  • 姿勢分析調整士
  • 一般社団法人日本ゴルフフィットネス協会 認定トレーナー

患者さんへ一言

理想の治療院を作ります!治療から予防・美容までやります。手技療法に自信があり『リアル・マニュアルセラピスト』として、一人ひとりお身体を触らせて頂き、身体の異常を見つけ施術致します。交通事故治療も自信があります。難解な自動車保険の知識は「三重県下一番!」と自負しております。

誕生から現在

私が接骨医になったきっかけは、私の生い立ちや出会った人たちに強い関わりがあります。自分を支え、励ましてくれた人がいたからこそ、現在の私があるのです。

私は三重県四日市市小古曽町にて生まれました。幼少の頃から先天性の身体の異常を持っていたので、母は私を連れて、雨の日も風の日も病院に通ったそうです。のちに整体師について勉強する中知ったのですが、それは先天性の股関節脱臼と斜頸でした。この二つは合併して症状が現れることが多く、見逃すとのちに大きな障害を残すこともあります。見つけてくれた医師の方、母のおかげで、日常生活には全く支障がない身体に育ちました。

父はというと、仕事で長距離運転をすることが多く、慢性的なひどい腰痛に悩んでいました。従姉妹が接骨医の資格を取り、父を治療していたのを覚えています。そんな父の姿を見ていると、自分にも何かできないか、治してあげたいという思いを抱くようになりました。

小学生〜中学生の頃。ロボットアニメが全盛期で、「将来ロボットに乗りたい、作りたい」という夢を抱くようになりました。けれど、自分が小さかった頃にお世話になった医師の方、母、父の治療をしてくれた従姉妹のことを思い出し、色々な話を聞く中で「人の身体を治療する仕事」、それこそが自分のやりたい事なのだと気がつきます。治療することがどんなに素晴らしく、尊いことであるか、また自分がそれを実行したいということを、強く実感したのです。

私は高校の恩師に出会う事でぐんと成績が上がりましたが、それまでは勉強はどちらかというと苦手でした。夢があることで勉強する楽しみを感じ、成績も上がってきたので、一念発起して接骨医になることを決意しました。

愛知県の整形外科に就職し8年間の臨床経験を経て、平成8年に「ささがわ接骨院」を開業しました。開業してからは、「ギックリ腰が良くなる」「病院でも治らなかった症状が改善した」「椎間板ヘルニアの手術をしなくても改善した」といった口コミをいただき、県内外から多くの方に来院していただきました。

ところが、日々より良い治療をしようと尽力すればするほど、できることの限界も見えてきます。患者さんの症状が取れてもすぐにぶり返す、楽にはなるけれど完治はしない、という問題。それは接骨院の保険治療内では難しいことだったのです。8年かけて知識を増やし、技術を磨きましたが「健康保険のルールの中ではそれを100%活かすことはできない」という結論に達しました。

そこで、平成27年に「ささがわ接骨院・整体院」として、自費治療を中心とした治療院に変革しました。自分が抱えていたジレンマを乗り越え、より患者さんに寄り添った治療ができるようになりました。

21年前に妻と二人で立ち上げた接骨院。今では二人のセラピストと受付スタッフも加わり、患者さんにとって満足のいく施術、サービスを日々目指しています。患者さんの身体の悩みに寄り添うということは、そのまま、心の声を聞くことであると思っています。

毎日の生活のクオリティーを上げ、笑顔で満足した日々を送るためには、身体が健康であること、痛みがないことが大前提です。私は、自分の経験を元にして、そんな患者さん一人一人に寄り添う治療を行っていきます。そして、自分が30年行ってきた臨床経験を後継に伝え、さらに自分の技術を高めていきたいと思います。

スタッフ紹介

伊藤美波


誕生から現在

生まれた時は体重が4000g以上あり、他の赤ちゃんより一回りも大きかった私。母親に聞いてみると、出産前まで三ツ矢サイダーを毎日飲んでいたそうで、大きかったのはそのせいではないかと私は考えています。当時の写真を見てみれば、赤ちゃんの頃はまだ純真無垢で可愛い時代だったと思います。

その後、妹や従兄弟が生まれ、自分が一番年上なんだという意識が芽生えました。何かと仕切りたがるところがあり、ちょっぴり生意気な子どもだったかもしれません。

今でもよく覚えているのですが、初めて託児所に預けられた時は、捨てられてしまったのではないかと思い、ひどく泣きました。当院に小さな子が来て泣いていると、そのことを思い出し、何とかしてあげたいという気持ちになります。

私が整体師になったきっかけは、当院の整体師(セラピスト)の募集が目に入ったことです。専門的な知識やスキルを身につける必要があり、難しいことは分かっていましたが、「整体師になれるかもしれない」と思うと、とても関心が高まりました。

以前から美容の仕事に興味があったこともあり、美容整体に携われることも嬉しく感じました。女性が美しくなるためのお手伝いができると思うと、ワクワクした気持ちになったのです。

整体師なら自分を磨くことができる、手に職をつけられる、という思い。さらに、頑張って技術を習得することで、たくさんの人を癒すことにつながると思うと、がぜんやる気が湧いてきました。

ところが、実際に技術を習得するまでは、想像以上に大変でした。今まで漠然としか知らなかった骨や筋肉、身体の機能をより詳しく学ぶことで、その複雑さ、興味深さを知りました。難しさに諦めたくなることもありましたが、毎日のように技術練習をして、ついに整体師としてデビューすることができました。

最初の施術は、産後の骨盤矯正でした。とてもプレッシャーを感じ、緊張しましたが、先輩からの指導もあり、何度もロールプレイングをすることによって、次第に慣れていきました。患者さんからよく聞かれる質問、妊娠や出産に関する知識、分かりやすい説明の仕方など、回数を重ねるごとに上達を感じ、日々やりがいを感じながら施術にあたりました。

今では産後の骨盤矯正だけでなく、姿勢矯正、一般整体も担当しています。骨盤矯正に通う方からは、「腰痛が改善した」「ウエストが細くなった」「サイズダウンした」「履けなかったズボンが履けるようになった」など、たくさんのお声をいただきます。

姿勢矯正で通う方からは、「猫背が改善された」「姿勢が綺麗と言われるようになった」「肩こりが治った」「疲れにくくなった」など、嬉しい言葉をいただきます。そうしたお声の一つ一つが、私の原動力になっているのです。また、そうした声に励まされるからこそ、私が日々成長できているのだと感じます。

現在では、担当の患者さまもたくさん来てくださり、日々楽しくお仕事させていただいています。時々お子さん連れで来てくださる方もいて、お子さん達とふれあいながら癒される時間も、私の楽しみになっています。

女性は出産を機に腰を痛めたり、体型が変わってしまうことが多くあります。毎日子育てに追われ、つい自分の身体の痛みを後回しにしてしまうこともあると思います。けれど、しっかりと自分の身体と向き合い、いたわってあげることはとても大切なことです。

ママとして、一人の女性として、これからもキラキラと輝いていただくために、私は心を込めてお手伝いさせていただきたいと思っています。ご来院いただいた全ての皆さまが健康で、毎日を気持ちよく過ごしていただけるよう、これからも尽力していきます。

見並孝太朗


誕生から現在

昭和62年1月13日に四日市市で生まれました。幼少期はあまり外で遊ぶタイプでは無く,マイペースで一人黙々とブロックで遊んだり、絵を書くのが好きだったらしいです。
小学校に入り空手や水泳など様々な習い事をさせてもらったのですが、最終的に興味を持ち続けれたのはバスケットボールでした。そのころになると体力もついてきたからか、お昼休みでもバスケットボールをしていたのを覚えています。
中学校では地元の中学校にバスケットボールの部活が無かったので、海星中学校へ進学しました。中学時代も一番記憶に残っているのはバスケットボールで、休日も友人と集まってよくバスケをしました。
高校になると様々なことに興味が出てバイトしてみたり、色々な所に遊びに行ったりしました。あれが楽しい、あれが面白いと聞くととにかくやってみたのを覚えています。お恥ずかしい話なんですが中学・高校と勉強した記憶はあまりありません(笑)

この時点ではまだ医療のことをあまり知らず、興味も無かったため電気の専門学校に進みました。高校、専門と部活ではしてなかったのですが、休日に集まって趣味でバスケを続けていました。昔から膝が悪く、よく違和感を感じていました。
そして在学中にふとしたきっかけで膝に強い痛みが出て満足に動けなくなりました。かなり困っていた所、知り合いに勧められて整体をして頂きました。当時は全く知識が無く何をされているかさっぱりわかりませんでしたが、体は楽になり日常生活に戻ることが出来ました。
そうしたきっかけで医療に触れ、次第に「僕も、こんな整体師になりたい!」と思うようになりました。卒業後最初は別の仕事をしていたのですが、医療への興味が強くなり整形外科へ転職しました。

整形外科では4年お世話になりそこでも色々な知識を学び様々な経験は出来たのですが、その時はまだ医療の資格を持っていなかったので、専門的な知識も無く出来ないことが沢山ありました。何度も壁にぶち当たり知識不足を痛感し、
やはりこの仕事を続けて行くならば知識をしっかりつけておきたいと思い、医療系の専門学校へ入学しました。自分の興味のある分野だからか苦手な勉強とも向き合うことが出来、様々な知識や経験を積み成長できたと思います。

そして無事国家資格を取得し、現在に至ります。今現在僕はささがわ接骨院・整体院にてむち打ち・ぎっくり腰のスペシャリストを目指しています。
この業界に入ってはじめて知ったのですが、交通事故でむちうちになられた中で最後まできちんと施術を受けれず、症状が残っている方も多く、知識がなかった為に言われるがままに、治療を終了して後悔している方が多いのです。
そんな方達に、不具合が生じないように、どんどん知識を取り入れ正しい知識と施術でフォロー出来る様に頑張っていきたいと思います!

吉田美穂


誕生から現在

私は1995年6月9日長崎県大村市で生まれました。昔母に生まれた当初の事を聞いた時に、最初の子なのでディズニーランドや温泉などいろんな場所に連れてってもらいましたが、いつも寝てばかりで母は楽だったそうです。1番驚いたのが父によくまだ数ヶ月しか経ってないのに、居酒屋に一緒に行き周りの人達から小銭など貰ってました(笑)

普通では考えられない事ですが、私が生まれた事を両親に喜んでもらえて幸せだと今は思います。父のおかげでお酒が好きです。ついつい晩御飯はお酒のつまみを作ってしまいます。成長していくうちにやんちゃな子になり、迷惑をかけてばかりで、車から落ちて顎を3針縫ったり、幼稚園の卒園式では唇を切って怪我したまま卒園式に出て、写真は痛々しかったです(笑)

他にも小学6年生の時に、保存剤をブラックペッパーと勘違いして食べて、その日は友達とお祭りに行く予定でしたが、断って病院に行きました。私は母とお祭りに行けなくて大喧嘩した事を覚えています。やんちゃというよりバカでした(笑)そんな私でもお菓子作りやパン作りが好きで食べる事も大好きです。特に甘いものにはめがありません。カフェやケーキ屋、コンビニスイーツも大好き︎現在の体型はご想像にお任せします(笑)

家族や友達に私が作ったものを『美味しい』と笑顔で食べている姿をみて、嬉しくて私自身も幸せな気持ちになります。この頃はパティシエになる事が夢でした。中学ではソフトボールをし、初めて先輩が出来て不安もありましたが優しく指導してもらい徐々に上達して、レギュラーになりました。印象に残っているのが差し入れにバナナもらって、私だけ食べるのが遅くて監督に怒られました。日本中バナナで怒られたのは私だけだと思います(笑)。中学でも九州大会出場をしまさか、行けるとは思わなくてあの日の事は忘れません。中学も私にとって貴重な体験でしたが、高校の硬式テニス部が私にとってとても影響力がありこの高校に入学して私にとってとても影響があった3年間でした。入部した時に九州大会出場を目指し日々筋力、体力、知識、部活メンバーで相手の分析など頑張っていました。高校2年生の練習時に膝の怪我をして九州大会出場を諦めかけましたが、今までの努力を無駄にはしたくなく何より、部活メンバーが支えてくれて、また九州大会を目指そうと思い、今やれることをしました。その時に整体師の先生が治療だけではなく、怪我をしない為に体幹や筋トレを教えてもらい、部活中にもでき九州大会出場を果たしました。整体師の先生と部活メンバーと監督のおかげです。この3年間がなければ私は部活を通して成長する事が出来ませんでした。本当に感謝してます。卒業後は福岡のパンの専門学校に行き、初めての1人暮らしで、不思議なくらい一度もホームシックにならず、バイトや学校ばかりでした。昼休みとかバイト前に友達と遊んだりコンサートに行くのが何より楽しく充実していました。パン屋ケーキ巡りなどもし学ぶ事も沢山あり、学校の行事に役に立たせることが出来ました。学校以外にも、結婚式の配膳のバイトで人の幸せを沢山見れて幸せでした。

卒業後は地元のパン屋さんに就職し日々励んでいましたが、製造なのでお客様と関わる事が出来ず、少しずつもっと人と関わり役に立つ仕事をしたいと思うようになりました。そんな時に高校の時にお世話になった整体師の先生を思い出し、知り合いに整体師の方がいたので実際に話を聞いたり、施術を受けてなんだか身体が良くなった気がして驚きました。周りの患者さんの笑顔や患者さんと整体師がコミュニケーションを取るところを見て私もやりたいと思い転職を決めました。また一からスタートなので辛い事や上手くいかなくて諦めそうになるかもしれませんが、早く患者さんの為にも成長します。私が目指す整体師は患者さんに不満感を与えず、喜んでもらい幸せに出来るように日々努力し続けます。

~自惚れと、間違いに気付き、本当のマニュアルセラピストになるまで~

誕生

誕生

四日市に記録的な大雪が降った冬が明け、平成8年4月3日に院長の地元で地域の方々の健康のお手伝いをしたいと思い、治療院を開業致しました。

開業してから一生懸命に施術を行い、『ぎっくり腰が早く治る治療院』『病院でも治らなかった座骨神経痛が治る治療院』と言う噂を聞きつけ、県外・海外からも施術に訪れました。

停滞

停滞

宣伝・広告もせずに口コミだけで患者さんが増えていきましたが、ある時違和感を感じるようになりました。
それは患者さんが症状を『治そうとしてない』人が居るという事です。
どういう事でしょう?
それは『治りたい』ではなく『治ればいいな』と言う気持ちです。
そんな方達にも一生懸命施術を行いました。
沢山の方に喜んで頂いたと言う自負がありましたが、ある日それが『間違い』という事に気付きました。

悲しみと絶望

悲しみと絶望

ある時、「マッサージ何分やってくれんの?」「保険使えるんでしょ?」「柔道整復師ってそんなに勉強しなくてもなれるんでしょ?」「え?200円値段上がるの?ほんじゃもう止めるわー」「なんか今日マッサージ短いな~、手ぇ抜いとんのとちゃう?」などなど、色々言われました。

整形外科に就職して、月給6万5,000円~14万円で働き、8年間寝食を削って勉強してきて、そして夢を叶えるべく開業したら、こんな状態・・・
だんだんと仕事が嫌になり、接骨院を辞めたいと思いました。

希望の光

希望の光

そんな気持ちで仕事をしていれば、段々と患者さんは減り、良くない事も周りで起こりました。
ある時、あるきっかけで、院に沢山の患者さんが来て頂き、売り上げが倍になりました。
そのおかげで、通帳の中の数字が増えました。
あなたならどうしますか?

僕はこのお金を使ってもっと勉強をしよう!
理想の治療院を作る為に、もっともっともっと勉強をしようと思いました。
貯めようとか、微塵も思いませんでした。

『井の中の蛙』と言ったもんで、外に出ると知らない情報、自分がいかに遅れているか、時代が変わって来ている事に気付きました。
そこから、15年以上やってきた『院』をガラッと変える事にしました。

現在とこれから

現在とこれから

経営を勉強しました。新たな技術も勉強しました。増えた売り上げ以上に、お金を使いました。
結果、現在は本当に体が不調で困っている人、病院を2件も3件も変えても症状が変わらない人、「様子を見ましょう」だけで、何も治療が変化していかない人。

そんな人のお力になりたい
お身体が悪く絶望の中で、希望の光を探している方。そんな方のお手伝いをしてゆく、治療にしてゆきます。
ただ一人でやれる事はたかがしれてます。
ですから今、仲間を募り、もっと沢山の方の『笑顔』を見たい為に、毎日頑張っております。

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